少林寺拳法               土方歳三資料館
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調布支部
●土方歳三資料館
所在地:東京都日野市石田2−1−3
電話  :042−581−1493
交通  :京王線「高幡不動」駅より徒歩15分/多摩モノレール「万願寺」駅より徒歩2分
開館日:第1・第3日曜日の12時〜16時
入館料:500円(小中学生300円)
(2006年4月現在)


●資料館館長挨拶より
 歳三の生家は元々土方家の墓所である石田寺のすぐ北側にあったが、弘化3年(歳三12歳)、多摩川の出水により一部が流され、残った母屋等を移築して今の場所となった。
 しかしその建物も風雪を重ねて傷みが進み、平成2年の建替えの折、各方面から寄せられた「生家保存」の声に少しでもお応えすべく、住居の一室を土方歳三資料館とすることにした。(土方歳三資料館館長 土方陽子氏)

 

●資料館の展示物
土方歳三佩刀・和泉守兼定

会津藩お抱え刀工であった11代和泉守兼定の作。2尺1分6厘(約70.3cm)。裏銘は慶応3年2月日。歳三の死後、函館より土方家に遺品とともに届けられたと伝わる。
土方歳三佩刀・和泉守兼定

柄糸は激戦を何度も潜り抜けたためか、磨耗が激しい。鍔は七夕図。目貫は山椒図。
新選組・袖章

これを肩先に着けることで敵味方を区別したという。数十枚残る当時の袖章の一枚。
土方歳三使用 鉢金

歳三が文久3年8月18日の政変時に着けていたもの。表面には7,8箇所の刀痕が見られ、裏面には「盡忠報國志 土方義豊」と刻まれている。「義豊」は歳三の諱。
鉢金送り状

歳三が、8月18日の政変や三条縄手事件で使用した鉢金を義兄・佐藤彦五郎へ送った際の書簡

天然理心流中極位目録

文久2年9月日 近藤勇発行のもの。幕府瓦解後、厳しい取調べから逃れるため多くの書簡・遺品は処分されたが、これは「歳三」の名を削り「義昌」と書き変える事により後世に伝えられた。尚、「義昌」は、歳三の諱「義豊」と近藤勇の諱「昌宣」から取られたと推測される。
土方歳三使用 鎖帷子・籠手 二揃

一着は、歳三が池田事件・禁門の変の際に着用し、帰郷の際に置いて行ったと伝えられるもの。もう一着は、使用時期が判明していないが、肩当て、面当てが一揃いになっている。
榎本武揚 書額

旧幕軍総裁・榎本武揚が歳三の人となりを詠んだもの。「入室m清風(にゅうしつしょせいふう)」。歳三という男、部屋に入ってくると清らかな風が吹く様な、そんな爽やかな人物であった。
土方歳三 全身肖像写真

明治元年末頃、函館にて、右の半身肖像写真と共に撮影されたと伝わる。左腰の佩刀は和泉守兼定であるといわれている。
土方歳三 半身肖像写真

明治元年末頃に函館にて左の全身肖像写真と共に撮影されたと伝わる写真。
天然理心流木刀

長4尺、柄1尺2寸5分。鍔の部分は革製。幕末期土方家で使われていたもので、代々土方家男子の諱に用いられた「義」の字が刻まれている。歳三もこの木刀で研鑽を積んだという。
土方歳三手植えの矢竹

若き日の歳三が、「我壮年武人となって名を天下に挙げん」と言って庭に植えたと伝わる矢竹。
石田散薬の薬箱と貼り札

若き日の歳三はこの薬箱を背中に背負い、土方家家伝薬「石田散薬」を行商して歩いた。
薬箱に付けられた「やまにまる」印は石田村の「石」の字をデザインしたものといわれ、土方家の什器、お道具類などに付けられた。土方家の家紋は「左三つ巴」
土方歳三生家

昭和中期頃撮影。平成2年に建て替えられるまで、幕末期の姿を偲ばせた。歳三は29歳で上洛するまでの17年間の時をこの家で過ごした。平成6年には敷地の一角に「土方歳三資料館」が設けられている。

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