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調布支部
半ばは自己の幸せを、半ばは他人の幸せを
◆半分ぐらいは他人の幸福を願う
 ほかのものの犠牲において、自分たちだけが欲望を満足させ、幸福になろうとする人間がふえ、その中から権力者が出たときに、社会は暗黒になり、殺人や戦争が起こる。そこで私は過去の一部の宗教家のように、諦観して自分だけが欲望を捨てて出家し、忍辱の生活をしてみても、けっして世の中はよくならないと思う。私はおおいに欲望をもち、自分も幸福になるが、半分ぐらいはほかのものの幸福を願う人間になりたい、と念願して生きよう。
 そこで私は、私のところへ来る若い人たちに、つぎのように私のえがいている理想郷を話している。
 現代は科学の時代だ。人類が大きな欲望を持ったればこそ、今日のこの科学の発達があったのである。だから、こんごもおおいによい意味での欲望を持とうではないか。自分も幸福になるが、他人の幸福も半分は考えるという人間が一人でも多くなれば、それだけ世の中はあかるくなるはずである。だから科学の発達が人類を滅亡させることになるであろうと言われるのは、それを自分たちだけの幸福のために使おうとするやつが出るからだ。だからそういう考えをもつ必要のない世界をつくればよい。

〜中略〜

 それで私は、いつ達成できるかはわからないけれども、自己の調御と、自他共楽の道を行じて、人類共楽の世界実現に挺身できる、そういう人をつくるお手伝いをさせてもらうことにしたのである。(「秘伝少林寺拳法」カッパブックス)


◆若者の育て方
 人というのは大半が自分の幸せを第一に考える生き物で、自分以上に、あるいは己をおいて他を考えるなんて私にだってようできない。偉い方は自らを捨て世のためにとおっしやるが言うが易し行うは難しで、最前正直に申し上げたとおり私は生活坊主ですから「半ばは自己の幸せを、半ばは他人(ひと)の幸せを」をうちではスローガンとしています(笑)。家庭内から彼氏と彼女、国家間からビジネス、皆さんの仕事だってどれも同じで、己の言い分だけを主張していれば、揉め事、対立の連続でしかない。日本が中国を攻め大失敗したのも日本の都合、それも一部の人達の利益だけを考えたからでした。なぜ戦争が起きるのかといえば、自分らの立場や利益だけで相手の迷惑、不幸を考えないからであり、長く生き諸々を見てきて私は本当にそう思います。ある人達、あるグループだけが幸せになるための英知の開発、その先にあるのが何かはっきりしてる。そして人類がこの問題を克服し解決するには、人間ひとりひとりの考え方を変えるしか方法がないと私は結論しました。気の遠くなるような道程であっても、です。(1971年4月中小企業主懇親会にて)


◆少林寺拳法は自他共楽の世界を実現する手段である
 私の祖父は明治末期の剣道範士の一人です。私、ガキの頃から、いや も応もなしに剣道を仕込まれた。「親の敵(かたき)だと思ってかかっ てこい」子供の私をぼんぼん打ちすえる。柔道もやりました。いろんな ことをやったが、すべてが己以外は敵である。  そういう教育しか受けてない日本人が、他の幸せなんか考えるはずがない。今少林寺の最大の眼目である「半ばは自己(おのれ)の幸せを、半ばは他人 (ひと)の幸せを」、こんな思想は日本の教育の中では生まれなかった のです。
 宗教家の偉い人、ある大学の教授が私に言いました。  「先生、あなたはいい人だ。立派な人だけど、一つ気に入らんとこがある。半ばは我が身の幸せなんて、我が身を先に出すのは、宗教家として教育者としておかしい……。」  私は違うんですね。自分を大事にしない人間があったらおかしいので あって、己がまず第一だ。しかし、己がすべてではない。相手がある。 半分でも相手のことを考えてあげる。相手の、まして幸せを願うようになったら、戦争なんか一遍でなくなるっていうか、起きるはずがない。 もちろん夫婦の争いもなければ、仲間同士の撃ち合いもないはずです。
 そういうものをつくるには、武道ではだめ。体を鍛えるというだけで はだめなのです。これを私は若い時代、修行過程の中で、中国の少林寺へ行った時に、教えてもらったというよりも、壁画を見た私のインスピ レーションがそれを教えてくれた。 (1979年11月 第3回全日本実業団大会


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